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カテゴリー「日記」の記事一覧

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2014おわり

今年を振り返ると、比較的ではあるものの頑張れたことが多かったと思う。
先日のコピー本は何だかんだで個人名義で出せた初めての冊子だったし、その他の事柄も前よりはまともかなと。


思うに好転した切っ掛けは、楽をするための努力をしたから。
これまでは無駄に高い目標を掲げて途中で挫折するパターンばかりだったけれど、目標を敢えて低く設定して確実にこなすようにした。

というより、もっと目標を下げろと自分に言い聞かせる努力かもしれない。
理想を目指すことは決して悪くない。
けれどそれ以上に、現状を理解して行動する方が個人的には重要と感じる。
瞬間で楽をしたいなら投げ出してしまえばそれで済むが、後々のしっぺ返しは必ずくる。
ならば長い目でみて楽な方を取ろうと思えるようになった。


なので今年最後の仕事として、来年の目標を敢えて掲げないで終えるという努力をする。
日々生きていく中で小さく何かを見つけて、こなせれば十分じゃないかって。
それが正しいとか間違いとかはわからないけれど、振り返って成長を実感出来たのならそれで良しとしたい。
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製本作業を終えて

技量の向上には日々の鍛練しかないわけで。

文章で自己表現をするようになってだいぶ経つけれど、まだまだ未熟さを思い知る場面は多い。
オブラートが分厚くなったり散漫な書き方になってしまったりで、肝心の中身がボケて伝わらないのは致命的だと思っている。

言語センスのような補いたくても思うようにいかないものは確かにある。
けれど今足りないものは修練次第で変えられる要素だから、もうしばらく書くことを重ねてみようと思う。

同時に読むことがもっと必要だと今更ながらに痛感した。
読み手の立場で書かないことには、ただの独りよがりな文章になりがちだ。
バランスよく読み書きを繰り返し、伝わりやすくも印象深いものが書ければと思う。


今年は習作を二作に留まったが、これまで一向に書けずにいたことからは前進できたのだし前向きに続けようと思う。

膿出し

ここ数日ぼんやりとだが、確実に貯まりつつあった感情の膿を絞り尽くしたいと思う。
決め手となったのは先ほど目にした、高校生がLINEでのやり取りから自殺をしたというニュースだ。


回りくどい入り方をするが、使い方を誤り大事に至る道具は決して少なくない。
電化製品は元より工具類や乗り物と、故意であるかどうかはさて置き誤用が元で死ぬものはいくらでもある。
もちろん正しい扱い方を覚えればこの上なく便利なものとなるが。

それを踏まえ言葉も道具だと自分は考える。
意思伝達、自己表現と当たり前のように使うこの道具、殊更に扱い方が粗雑になっていないかと危機感を覚える。
凶器としての言葉は人を殺すことも壊すことも出来る。

LINE上でのやり取りで自殺ということから、LINEというコミュニケーションツールの問題点を指摘する声が挙がるだろうが、個人的にはそこは瑣末な問題だと思う。
折り畳んだメモを一部の人間で回し読みしてた頃とそう変わらないし、その後のメールでのやり取りが主な世代でも、結局は言葉で人を殺していることに変わりはない。
※ 今回の趣旨とは離れてしまうので直接的な暴力が主なケースについては割愛。

それに言葉を乱雑に扱っているのは若い世代に限らない。
街中、ネット上と所構わず、老若男女が口汚い使い方でもって言葉を刃にしている。
立場の違う者を目下に置きレッテルを貼って非難し、議論という名目で罵詈雑言をぶつけ合うここ十年くらい増えている光景には本当に辟易している。
つい先日は公人が同じレベルのやり取りを公の場でやったというのだから、嘆かわしい限りだ。

使う人間が多くなれば習熟の度合いに差が出てくるのは必然だが、言葉に関してはどうにも蔑ろにされすぎている気がしてならない。
口にするにしろ文字に起こすにせよ、内から外へ伝えることの出来る数少ない道具なのだからもう少し使いようを考えて欲しいと思う。


とまぁ、そんな愚痴に近いモノを口煩く吐いたので七割くらいはスッキリした。
もっと言い回しだとかユーモアのセンスがあれば残りの三割も解消したんだろうけど、自分の語力ではこの程度が限界かな。
言葉に関してはもっと上手く扱えるように精進したい。

歳月人を待たず

大学の頃の友人たちと会って間を置かず、15年振りに中学生の同級生たちと顔を合わせた。
ゆるゆると日々の時間を漂うように生きている自分に、ある意味では続けざまに尻を叩かれたような出来事だった。


割と身近な人も、ずっと顔を合わせることがなかった人も、等しく立ち止まってなどいない。
自分だけ何か取り残されているような一抹の寂しさを覚えたのは事実だ。

自分もきちんと動き出さなきゃなと、ポジティヴな意味で受け取っているので大丈夫。


今のような生き方をせざるを得ない理由は自分が一番よく知っているし、無理をすれば大きく後退してしまうリスクもある。
若干の焦りと、まだ残っている今すべきことの狭間でジレンマを感じているという状態だ。
ただ漂っているだけではないということを再確認しないと、あらぬ方向へ流されてしまう。


そろそろ朝晩の暑さが和らぎ、またもや身体が不調を訴えている。
あくまでも自分の舵取りをするのは自分だと言い聞かせ、変に焦ることなく今出来ることを確実に。

妥協点の打ちどころ

プラモデルを塗装しているときに思いついたことなんで、向こうの趣味blogで取り上げても良かったけれど文字メインなのでこちらにて。
創作で喰っている人間の立場とか気持ちは、趣味でやってる自分には縁がないので別物というのを大前提に読んで頂けたら。


創作をするにあたって、妥協点をどこに持ってくるかというのは色んな人が行き詰るところだと思う。
完璧を求め一切妥協はしたくないという姿勢を貫こうとするあまり完成に漕ぎ着けられず結局ポシャったり、なんていうのは身につままれる話だし。


ひとつ自分が思い至った妥協点というか自己満足のラインっていうのが、創ること自体がストレスになるならソイツはもう度を越えちゃっているよなと。
もちろん激しい鬱屈やら負の感情の底から生まれる良い作品ってのはあると思うし、それらを否定はしない。
けれど、趣味の創作ってのはあくまで人生の余興みたいなものであって、本分にまで悪影響を及ぼしちゃあ元も子もないと思う。


じゃあ適当なところで仕上げたつもりになっててソレを創作なんて呼ぶのか、って突っ掛かるのは待って欲しい。
ここはこうしたらもっと面白いかなとか、この箇所はもうちょい手入れたら何か良いな、みたいなポジティヴな追及はどんどんやるべきだと思うから。

創作は作品ひとつが出来たら終わるものじゃない。
まず一個仕上げてリアクションを元に次に繋げるっていう方が、ストレスになって創ること自体に嫌気差すよりずっとマシだし楽しいと思う。
趣味なんだし、やっぱり楽しまなきゃいかんなーと。


てなことを、プラモの塗装が上手くいかないなか思いついたので急遽書いてみた次第。
いやぁ、湿気が高いと塗料の乗りが悪くて困る困る。
まぁ、あっちはここいらが自分の技量の限界かなというの見えてきたので、そろそろ一体お終いにする予定。

完成したら趣味blogに写真上げるかな~。

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