自己表現の広がり
SNSの中のように、限られた壁の内の人にのみ何かを伝えることをしばらく選んできた。
もちろん今でも極めてプライベートな事情を何も知らぬ人にも見せ、見てしまった人と自分と双方が困惑するという事態は避けたいのは変わらないが。
伝えたい言葉があるのならばなるべく伝わる方法を選んでいこうというように、厚い壁を薄くしたりわざと穴を開けることにここのところ楽しみを見出している。
自分が思い込んでいるほど他人は興味をこちらへ向けていない。
それが事実だというのも、壁を張っていては結局見えてこないことだった。
ならばもうちょっと外へと言葉を発信しても良かったなと、10+α年経ってようやく気付けた。
言葉に限らず、写真一枚にしても音楽にしても表現していくのは楽しい。
どうやって表現すれば良いのか手段に悩んだ頃があったけれど、それを経て今本当にあの頃から何だかんだで続けてきて良かったなと思う。
このエントリ、食休みの間に書き上げようと思っていたのにこんな時間に。
遅筆は相変わらずというか仕様というか。
ほんでは。
もちろん今でも極めてプライベートな事情を何も知らぬ人にも見せ、見てしまった人と自分と双方が困惑するという事態は避けたいのは変わらないが。
伝えたい言葉があるのならばなるべく伝わる方法を選んでいこうというように、厚い壁を薄くしたりわざと穴を開けることにここのところ楽しみを見出している。
自分が思い込んでいるほど他人は興味をこちらへ向けていない。
それが事実だというのも、壁を張っていては結局見えてこないことだった。
ならばもうちょっと外へと言葉を発信しても良かったなと、10+α年経ってようやく気付けた。
言葉に限らず、写真一枚にしても音楽にしても表現していくのは楽しい。
どうやって表現すれば良いのか手段に悩んだ頃があったけれど、それを経て今本当にあの頃から何だかんだで続けてきて良かったなと思う。
このエントリ、食休みの間に書き上げようと思っていたのにこんな時間に。
遅筆は相変わらずというか仕様というか。
ほんでは。
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